Into the real NORTH

2018年夏の終わり。ユーコン、ホワイトホースに家族3人で引っ越してきました。夫はユーコンカレッジに入学。私は仕事を探し、息子はもうすぐ2歳。私たち自身情報の少ない中、こちらに在住の方のブログの情報に助けられているので、私たちの暮らしが誰かの助けになればと思っています。

英語の試験を受けた話

ものすごく久しぶりの投稿となってしまいました。

実はここ1ヶ月、とても忙しかったのです。4月にある初めての出店、日本から受けているデザインの仕事、そしてホテルのハウスキーパーが続々とやめたり、産休で離脱するにも関わらず新しいスタッフが一人も入ってこない事。

そしてそして英語の資格試験に向けての勉強がありました。

今日は、その試験の日でした。一段落ついたので、ほっとパソコンの前に座っています。

まあ、一段落付いたのは試験だけで他はまだまだ忙しいのですが。

 

私が受けたのはIELTS(アイエルツ)というテストで、留学したり、永住権を取る為に受けなければならないテストです。

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テストといっても、英検のように受かるか落ちるかで判断されるのではなく、スコアに寄ってゾーン分けされたレベル3〜9のどのレベルに自分が当てはまるかという試験です。(なんかうまく説明できないけど伝わるかな)

テストは、リスニング、リーディング、ライティング、スピーキングと4種類あり、それぞれのテストにそれぞれのスコアが与えられます。

つまり、リスニングはできないけどリーディングはできる!ではダメと言うことですね。

例えば、カレッジに行くためにはすべての科目で6以上とらなければならない(必要とされるレベルはカレッジによって違いますが)とかそんな感じのテストなのです。

IELTSにはアカデミックとジェネラルの2種類のテストがあり、

アカデミックは留学するとき、ジェネラルは永住権を取るとき等に必要とされます。

なのでアカデミックの方がより専門的、学問的?で難しく、ジェネラルの方がより日常生活に必要とされる英語に偏っていると思います。

 

今回私はユーコンノミニーに必要となるジェネラルのテストを受けました。

勉強した期間は2週間くらいでした。いや意味あったのか?って感じですが、まあテストの形態を知る事で心の準備ができたので意味はあったと思います。

夫は、カナダに来る前にアカデミックの試験を二度受けていますが、それはそれはよく勉強していました。なにせそれでスコアが取れないと留学できない=カナダに来られないという絶対失敗できない状況でした。

本当に夫の勉強に取り組む姿勢には感心しています。わたしは三日坊主が良いところです。

 

しかしながら、まあこの2週間は早起きしてリスニングの練習をしたり、息子が寝た後にリーディングやライティングの勉強をしたり。

なぜならこのテスト、受験料がものすごく高いのです。

今回ホワイトホースで受講するのに375ドルかかりました。

3万円強かな。

日本での受験料は2万5千円くらいだったと記憶しているのですが、なぜこちらのほうが高いのか!

バンクーバーで受けたときは250ドルぐらいだった!という話も聞きました。値上げしたのか、ホワイトホースが高いのか。

 

このテストはセキュリティが結構厳しくて、受験の際は鉛筆2本と消しゴム、透明のボトルに入った飲料水しか持ち込めず他の荷物はすべて預けなくてはなりません。

日本で夫が受験したときは、大量の鉛筆を削っていっていたような気がするのですが、こちらと違うのでしょうか。

ただテスト中に、鉛筆削りや消しゴムを借りることが可能でした。

 

ちなみにホワイトホースでは年に2回しか開催されません。

年に2回で375ドル。絶対失敗できません。

 

さてさて肝心のテストはどうだったかというと、

普段自分が使っている英語以上のものは何も出てこないということが良く良くわかりました。リスニング、リーディング、ライティング、スピーキング

全てにおいて、普段の自分をそのまま出した。という感じです。

当たり前の事ですが、普段使わない単語はわからないし、日常生活でつまずくところはテストでもつまずく、ということです。

英検やTOEICのようにテストの為の英語の勉強を缶詰になってしたからといってスコアが上がる。という感じではなさそうです。(してないですけど)ジェネラルは特に、英語が使えない人はスコアが取れないって感じかな?

とはいえ、もちろんもっと前から対策をして過去問を解くなどの勉強していればもっと良いスコアがとれるし、普段の英語のレベルも上がるのではと思います。

ただたった2週間の勉強でも気づいたことがあります。

 

「ただ住んでいるだけでは英語の上達は望めない」

ということです。

 

これは私に取って大切な気付きでした。もちろん、リスニングのスキルは日本で勉強するよりただこちらに住んでいるだけでインプットの量が多いのである程度聞き取れるようになりますし、日常会話の中でしか学ぶ事のできない生きた英語というものがあります。

しかし、しかしですよ。それだけではそれまでなのです。

 

リスニングでも、シャドーイングという聞こえた事をすぐさま繰り返しながら聞くという勉強方法をやってみたり、何かを読むときはわからない単語を読み飛ばすのではなくちゃんと調べてみたり、英語の文章を何度も何度も書いてみたり。

日本の英語教育では、まるで喋れる英語を身につける事はできませんが、日本でやっていたような勉強も必要なのです。

ただ、ただ、自分が目的を持って、身につけよう!とうい思いがあれば、単語を覚えたり文章を読んだりすることはどんどん身に入っていくのです。

高校の単語テストの為や、大学受験のために、読み方もロクに分からずに字面だけを覚えるのではあまり意味はないかもしれません。

ですが語彙力は絶対必要です。

そして、そうやって覚えた単語を口に出して使っていくことで、初めて自分のものになるのです。

全ては連動していて、全てを勉強する事できっと言語は上達するのではないか。と思います。

 

カナダに来てから、もっともっと英語を喋れるようになりたい!という思いが強くなっています。

 

今思えば馬鹿げた話ですが私は英語を口に出して喋るということにコンプレックスがありました。親が英語を喋れることもあり、小さいときから教えてもらっていたので発音に苦労することも少なかったですし、英語は得意な科目でした。テスト勉強もほとんどしませんでした。英語ができたから行ける大学があったようなものです。

しかし、私は自分の親や兄が英語を流暢に喋り、家族の中で自分が一番出来ないということが恥ずかしく、殊に家族の前で英語を喋る事に抵抗がありました。いつも自信がなかったのです。こんなこと、もしかしたら私の家族は知らないかもしれませんが。

典型的な日本人と言えばそうですが、間違える事が怖く、聞き返されることが怖く、うまく使う事ができませんでした。

 

がしかし、こちらに住んでもう半年近く。そんなことは言ってられる状況ではないので喋る事に抵抗はなくなりました。そうすると、今度は悔しいのです。

日本では家族以外にはほとんど出会わなかった(出会わなかっただけで五万といると思いますが)私より英語を使いこなす人達に出会った時。そしてそういう人達やネイティブの人達が何を言っているかわからないとき。

自分の伝えたい事がうまく口から出てこないとき。

とにかくとにかく悔しい。

私はもっともっと、この言葉を身につけたい。もっと誰とでも当たり前に話せるようになりたい。

そして、日常会話だけじゃなくもっと知識としても、言語としても深く知りたい。

いつか、あれ?英語が第二言語なの?気づかなかったよ!と言われるまでになりたい。

そう思うようになりました。

今回のテストに向けての勉強がテストに役立ったかはわかりませんが、自分にはまだまだ可能性があると思えた事はとても良い事でした。

 

日々日々忙しく、なかなか勉強する時間などとれませんが、それでももっとラジオを集中して聞いたり、自分の好きそうな本を読んでみたり、誰かに手紙を書いてみたり、もっと外国人の友達とコミュニケーションをとったりしていこうと思います。

 

30年近く生きていても、

まだまだ何かをできるようになりたい!と強く思える事はとても幸せな事だなと思います。私は本当にカナダに来てよかったです。

 

英語ができるって素晴らしいです。

日本で英語が嫌になっている学生さんたち、もったいないです。勉強法は自分でいくらでも探せます。そして、大人になってからでもきっと身につける事ができます。

頑張りましょう!

映画レポ01「JANE」

昨日夫が、「チンパンジーの映画でも見るか」と誘ってきました。

授業で見たらしく、レポート?を書くのでもう一度見たいと。

Netflixで見れるので1ヶ月だけの無料登録をして見る事に。

1ヶ月は映画三昧になりそう。嬉しい。

私たちは映画が好きな夫婦です。

 

で見たのが

'JANE'

というドキュメンタリー映画

 

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アフリカに行くことを子供のころから夢見ていたジェーンという女性が、大人になってその夢を叶え、チンパンジーの研究をするためにアフリカへ。

チンパンジーの生態を調べ、記録をして映画を作ったというもの。

 

まず最初の感想としては映像がとても魅力的でした。

圧倒的な自然と、ものすごく近くで見る事ができる野生のチンパンジーたち。

ジェーンは何ヶ月もかけて観察を続け、ついにチンパンジーに受け入れられて、接触に成功し、チンパンジーのグループの中に入り

チンパンジーたちがジェーンのキャンプを訪れるようになり、まるで私もそこにいるかのようなリアルな映像にドキドキしました。

チンパンジーたちとどんどん距離を縮めていくジェーンの喜びが手に取るようにわかるというか。

 

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ジェーンとはジェーン・グドールというイギリス出身の女性です。

現在は83歳。

彼女はこの観察で

チンパンジーは道具を使う事、

個々の性格があること、

感情があること、雑食である事など

それまでの研究では知られていなかった事を発見し、証明していきます。

チンパンジーに一生を捧げた女性の実話です。

 

私はチンパンジーの事、良く知らなかったので、この映画を見て

驚く事がたくさんありました。笑うことや、家族を大切にする事、悲しむ事、喜ぶ事、遊ぶ事。まるで人間のよう。

 

一番印象的だったのは

母親を大好きだったチンパンジーの子供が、母親が年老いて死んでしまった後

悲しみに明け暮れ、病気になり3週間後に後を追うように死んでしまった事。

その映像があまりにも悲しくて、泣いてしまいました。

今も思い出して胸がいっぱいになります。

 

映画を見終わった後に

夫に「あのチンパンジーは特別依存する性格のチンパンジーやったんやろうか」と聞くと

「いや、人間が関わったことが影響しているんちゃうか」

と言われて、ガツンと何かに打たれたような気持ちになりました。

そのチンパンジーの子どもは生まれたときから、既にジェーンたちがそばで研究をしていて人間と関わり、みんなに愛され、育てられました。

年月が経ち、立派に大人になっているにも関わらず、母離れができず、50歳を超える母親に背負われることをねだり、母親が追い払おうとすると、子供のように怒り狂い、母親をたたいたり。

母親は年老いてしまって、息子を追い払う力もありません。

そんな親子の最期。

あまりにも悲しい。

 

ジェーン・グドールが成し遂げた研究は、素晴らしいもので

彼女は文字通りチンパンジーに人生を捧げました。

この映画を撮影した、カメラマンと結婚し、子供を授かりますが

夫は野生動物の撮影に、ジェーンはチンパンジーのそばに。

息子は学校に行く歳になるまでジェーンの側で育ちましたが、その後イギリスでジェーンの母親のもと育てられました。

 

この夫婦にはどちらにも譲れない、人生を懸けて、成し遂げなければならず、

成し遂げたいことがあったんやな。

 

私たちの知らない動物たちの世界があって

海の中でも森の中でも、そこはとてもとても、自然が美しくて、天国のようで。

きっとそこに人間は関わるべきではないのかもしれない。

それでも、知能があって、知りたいと思うのが人間で。

学んで、新しい事を生み出していくのが人間で。

ジェーンは「発達した知能をもつ人間は他の生きものに対する責任がある。彼らを脅かすような行動はとるべきではありません」と語っています。

 

私たちはもう既に、地球をむちゃくちゃにしてしまった。

天国のような美しい場所を、最初は知らず知らずのうちに、そして、知ってもなお破壊し続けています。

こちらでは冬眠できなかった熊が人を襲ったということがあったし、

つい先日、ロシアでホッキョクグマが群れで集落にやって来て、人々を脅かしているというニュースがありました。

動物たちがさまよっています。

暮らす場所がなく追いやられ、人が住むところまでやってきています。

いずれ人間も追いやられ、暮らせなくなっていくのかな。

 

自分の人生はたかだかあと数十年。

でも、息子の暮らしはどうなるだろうか。

息子の下の世代の暮らしはどうなるだろうか。

 

きっと多くの事がもう遅い。

それでも、考えなければいけない。

大切にしなければいけない。

 

ホワイトホースに来てから、自然や動物が近く、また気候の影響が顕著で

危機を感じます。

 

日本で好き勝手に暮らしていた私が、エコ!と言うのもまるで都合の良い話ですが

わたしのまわりの何人かの人にでも、立ち止まってもらえたらと思いました。

 

ああ、

なんか重苦しくなってしまいましたが。

失礼しました。

もし機会があれば見てみてください。

チンパンジーとても魅力的です。

 

カナダで起業?ブランドを立ち上げました。

字面にすると、大変なことを始めたような印象ですね。

以前ブログで、好きな事で生きていけるようにビジネスを始めたい、みたいなことを書いたと思うのですが、

そのことについて。

 

まず私は、小さい頃から絵を描くのが好きで、得意でした。

いつも何か描いていたり、作っていたり、そんなことを続けて、大学生になったときに始めたアルバイトは画材屋さんでした。

4年間勤めた画材屋の仕事は今思い出してもとても楽しいものでした。

販売員だったのでレジをしたり、商品の棚上げや発注をしたりの仕事がメインなのですが、商品販売のためのサンプル作りをやらせてもらっていて

いつもレジの横で絵の具を触ったり、粘土を触ったり、クラフトブックを作ったり、子供たち向けの体験イベントをやらせてもらったり、

季節の催事のポップや、看板等を作らせてもらったり。

本当に幸せな時間でした。

そうして働くうちに、友達のウェルカムボードを描かせてもらったり、パソコンでデザインの仕事をさせてもらったり。

iPhoneケースに絵を描いて売り出した時、自分の描いた絵がお金になることに衝撃を受け、私はこれで生きていきたい。

と思ったのです。

 

大学を卒業し、画材屋を退職した後は、お金がなかったので、住むところと仕事が一緒に貰えるという条件にひかれてゴルフ場でキャディーとして働いていました。

これまた人に恵まれ、毎日仕事が終わればゴルフ三昧の幸せな生活だったのですが、ずっとやりたいことが胸の中に残っていて

「私は30歳までに生活の基盤を築きたいので、このままキャディーをする訳にはいかないので辞めます」と何とも生意気な事を言って退職。

今思っても生意気。あのとき上司はどう思ったのでしょうね。

 

その後地元に帰り、結婚、ワーホリ、帰国、出産、そして今に至ります。

 

それから今まで、細々とですが、自分で作ったものを販売して少しのお金にしてきました。

絵はなかなか売れないので、雑貨であったり、Tシャツ、そしてデザインのお仕事。

 

29歳の今、

私はカナダの僻地でハウスキーパーをしています。

ハウスキーパーはいわゆるロースキルの仕事で、給料も安ければ、小間使いみたいに思われているんやろうなと感じる事があります。

汗だくになりながら掃除をしていて、毎日へとへとです。

でも、私がやりたいのはこれじゃない。

 

ただ、私はここで永住権をとりたいのです。カナダにずっと住める権利が欲しい。

だから今はこの仕事は辞められない。

でもね

もしかして、このためにホワイトホースに来たのではないかという運命の出会いをしまして。

ブログにたびたび出ているユーコンの先輩夫婦の奥様が、私と同じような考えを持っていました。今ではすっかり友人です。

絵を描く訳じゃないけれど、もの作りが大好きで

いつも何か作っていて、いつかもの作りで生活できたらいいなと思っている。

裁縫や、編み物を得意としていて、私がこんなポーチが欲しいというとあっという間に作ってしまう。

仕事も紹介してもらったので私たちは一緒に働いているのですが、

ハウスキーパーで生きていくのってほんとに大変です。

このままここで、毎日汗だくになりながらギリギリの暮らしをする訳にはいかない。

という思いと

好きな事を仕事にしたいという思いと

一刻も早く追加収入が欲しい。という

 

お互いの思いがうまく重なって

トントンと話が進み、

二人でブランドを立ち上げる事にしました。

 

彼女が作った布の作品に、私がペイントする。という形で今は作っています。

材料は、新しく買うのではなく不要になった服、デニムなどを集めてゴミになるものから生み出すことにしています。

というのも、ユーコンに来て、自然に圧倒され

創作するものも、必要なくなったものを再生させるという形で喜びを生み出したいと思ったからです。

私たちが惚れ込んだ大好きなユーコンの空を守りたいという思いを込めて

 

名前は「SORA」

にしました。

 

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空の色を詰め込んでみました

まだまだ活動はこれからですが、

今作品作りをしていて、イベント等で出店、ゆくゆくは定期的にポップアップショップを展開、最終的にはアトリエ兼ショップを持てたらいいなと思っています。

 

そしてそこから私の絵を人に見てもらう事ができればいいなと。

 

これからこちらの活動もブログで紹介していきますので応援してください。

近々作った作品を撮影する予定なので、また載せますね。

 

facebook, instagram

「sora_from_yukon」という名前でページを立ち上げたので覗いてみてください。

 

www.facebook.com

instagram.com

 

あと私個人でデザインの仕事も再開しました。

日本からでも受け付けますので(そんなにヘビーなものは時間が取れないのでできませんが)、ロゴデザイン、名刺デザイン、フライヤー制作など、こんなつたない文章でよければ文章も書きますのでなにか仕事あれば、お気軽に連絡ください。

 

instagram.comリンクだらけになってしまいました。

楽しい30代に向けて頑張ります!

読書レポ01「はみだしインディアンのホントにホントの物語」

ホワイトホースに来てから初めてまともに本を読みました。

しかも英語で。

 

私は本が好きな子供でした。小学生に入る前から本の虫で、ふりがなのついた本を繰り返し何度も読んでいたおかげで年長のときには読める漢字も結構あって、近所の小学生に驚かれたりもしました。

小さい頃は引っ込み思案なところがあり、同じ歳くらいの子と走り回って遊ぶのが少し苦手で、一人で椅子に座ってずっと本を読んでいる方が安心できました。

小学生になり、本好きの友達ができて、毎日学校に図書館に行っては本を借り、週末には町営の図書館に母に連れられていっていました。

中学生になり、部活を始めてそれなりに社交的になったものの、まだまだ図書館は大好きでした。

高校生になってからは、部活、ケータイ、恋愛などティーンエイジャーでいることに忙しくなって、図書館で本を借りる事はほとんどありませんでした。しかし、国語の現代文の教科書は私にとってとても魅力的で、捨ててしまった事を後悔しています。

大学生になってからは一人暮らしを始めバイトと外食と、新しい出会いや、都会の街を歩き回る事があまりにも楽しくて、本を読まなくなりました。

 

それ以降は、ちょくちょく読んだり読まなかったりする時期があるものの

本を読む事は変わらず好きです。

ちなみに夫はとてもよく本を読みます。

息子には本をたくさん読む子になって欲しいなと少しだけ思います。

いまのところ電車にしか興味がありませんが。

 

さて前置きが長くなってしまいましたが今回読んだ本は

邦題「はみだしインディアンのホントにホントの物語」

原題 'The Absolutely True Diary of a Part-Time Indian'

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著者はシャーマン・アレクシー

夫が授業で読んだ本らしいのですが、面白かったから読むといいよと勧められ読む事にしました。

 

結論から言うと、これはかなり面白かったです。

ティーンエイジャー向けの本なのですが、何せテンポが良く読みやすい!

まるで勉強しなかった大学時代、私の専攻は英語英米文学でした。なので本を読まないと言っても、授業で英語の本を英語で読んではレポートを書かなければならなかったこと、厳しいゼミを取った事も有りかなり多くの本を読まされました。

クラシックな文学が多かったので、文章はとっても綺麗で、話も重みがあって読んだ後には何とも言えない気持ち良さが残る物語が多かったのですが、何せ難しい!

1ページ読むのにのさらっと上から下まで読んでしまうと、結局なにがなんだかわからず辞書をひきながら3回ぐらい繰り返し読んでやっと理解できるような感じでした。

ある程度進んでから意味が分からなくなって、何ページも遡って読み直すこともしょっちゅう。

 

今回の本はそういったストレスは全然なく、さくさく読める!

そして、さくさく読めると言っても、私の英語力なんてこちらのティーンエイジャーには全然適わないので、知らない表現や単語も出てくるんですね。

それがまた生きた英語というか、とてもおもしろかったです。勉強になる!

今回辞書でひいた単語はたくさんあるんですが

vomit, sober,

が印象的でしたね。上のは「嘔吐」と「しらふ」という意味です。

ちょっとどんな感じの物語か想像付いた?おもしろそうでしょ。

他にも知ってる単語でもこんな使い方するんやな〜って面白かったです。

I was hot mad, Volcano mad とか。めちゃくちゃ怒ってるってことです。

 

本の内容は、

簡単に言えばアメリカのインディアン居留地の中の小さな町で育つ、貧しい、いじめられっこの14歳のインディアンの少年が、自分の未来を切り開くためにお金持ちの白人ばかりの学校に転校していろんなことに挑戦していく、というようなものです。

 

本当に簡単に言えばそんな話で、若い子向けに書かれた本ではあるのですが

それでも思わず胸がいっぱいになったり、思わずニヤニヤしてしまったり、衝撃の展開に本を閉じてしまったり。

主人公を応援したくなるし、貧しさについて考えさせられるし、大人になってから読むからこそ胸にくる物がたくさんありました。

 

日本語にも訳されてるようなので、興味が有る方は日本語でも探してみてくださいね。

でもきっと英語で読むほうが面白いんやろうな、わかんないけど。

あとたくさんの絵が漫画家になることを夢見る主人公が描いた絵として挿入されているのですが、その絵がまたとても良いです。

 

読みやすさ★★★★★

おもしろさ★★★★★

勉強になる★★★

 

これからちょくちょく映画や本の感想も記録として書いていきたいと思います。

(とか言いながらこれが最初で最後になるかも)

 

 

夫が骨折した話

タイトルのまんまですが昨日夫が骨折しました。

骨折と言ってもポキンと折れたわけではなくヒビが入ったとのこと。

カナダで大怪我です。

 

夫はカレッジでノーザンアウトドアという授業をとっているのですが

その授業では、ユーコンでできるあらゆるスポーツやキャンプ等のアクティビティやファーストネーションの人達の儀式に参加したりと

ここでしかできない体験が盛りだくさんの授業です。

 

年が明けてから毎週金曜日はその授業。

帰宅後は楽しかった!というより疲れ果てているような感じでしたが、今週はスノボーとスキーという事で楽しみにしていたようです。

金曜日は私は仕事がない日なので、息子を保育園に預けここぞとばかり好きなように過ごしています。ぼーっとしたり、本を読んだり、掃除したり、絵を描いたり、物を作ったり、テレビを見たり。

この日は夫が車に乗っていったので、私は家にこもり読みかけの本を読み終え、インクマスターというタトゥーの技術を競うい合う?番組をひたすら見ていました。

 

そろそろ皿でも洗おうかと思った13時過ぎ

夫から着信。まだ授業は終わらないであろう、どうしたのかなと思いながら電話に出ると

「なんか怪我したんやんか」

とのこと。

色んな想像が巡り、血の気がひいて「どうしたん?」

と聞いたら

「人とぶつかった。肋骨が折れたかもしれん」

どうやって帰るか聞いたら、自力で運転して帰ると。

その日夫は、同じ授業をとっている子たちと車で乗り合わせていたので、授業が終わるのを待ってからその子たちを送り届けて帰ると。

家に車もないし、どうしようもないのでとりあえず帰宅を待つ事に。

 

16時を過ぎた頃夫が帰ってきました。

息子を抱っこするのは難しいから、帰宅後迎えに行って欲しいと言われたのですが、ちゃんと息子を連れて帰宅。

 

それはもう痛々しくて、靴も自分で脱げないほど。

状況を聞くと、

列になって、ロープを掴んでゲレンデを登っていたら、上の方にいた女の子が滑り落ちて来てぶつかったそうです。

私はてっきりスキーかスノボーをしているときに人と衝突したのかと思っていました。

「一番最初や」

と。

え?一番最初ってなに?と聞いたら

最初のゲレンデを上る段階でひとつもスキーをすることなく、女の子が降って来て怪我をして終了だったのこと。

ドンマイ過ぎる。

女の子は無事だったかを聞いたら、普通に歩いてたから大丈夫やったんちゃう?

とのこと。

まじかよ

ドンマイ過ぎる。

「最悪やな!!!!」

の他にかける言葉が見つかりません。

いや、夫は女の子を体を張って助けたってことですね。良くやったよ夫!

運転が辛かった。ハンドルを速く動かすのが大変やった。

病院は様子を見て明日行く。と言い残して、寝室に消えて行き

夕飯に起きて来たものの、その後朝まで眠り続けていました。

 

あまりに静かなので怪我をした事実をうっかり忘れてしまいそうなほどでした。

そして今朝。

私の休みは、金土なので今日は夫を病院に連れて行く事に。

外はしんしんと雪が降っていました。

 

8時頃、病院に行くならそろそろ起きる?と声をかけると「ん」と一言。

リビングで待てども待てども起きてきません。

ちらっと開いているドアからのぞくと

足を色んな方向に向けては戻し、曲げてみたり、伸ばしてみたり(これ全部めっちゃスローです)

15分ぐらいはそんな状況。

「起き上がれへんの」と聞いたら「どうやって起きたらいいかわからへん」と

「肋骨 骨折 起き上がり方」とネット検索して(便利な時代ですね)

こうやったらええらしいで!と悶える夫に説明して(軽々と言う私にきっと腹がたったでしょう)なんとかベッドから這い出す事に成功。

 

病院は時間がかかるかもしれないということで、息子のお弁当を持って家族三人で救急病院へ向かいました。

この日は土曜日なので一般的なクリニックは開いていません。

そもそも、日本とカナダの医療は大きく違って

日本は耳鼻科、眼科、整形外科、内科などありとあらゆる専門医があって調子が悪い場所の医者に直接行く事ができますよね。

カナダというかこちらでは違って、まずは一般的な内科のようななんでも診てもらえる医者に行ってその後必要があれば専門医に紹介状を書いてもらうという形だそうです。

その一番最初に診察してもらう医者にも2種類あって

かかりつけ医(ファミリードクター)とウォークインクリニックという誰でもいける医者です。

つまりはクリニックのドアをたたけば誰でも診てくれる訳ではなく、かかりつけ医はそのクリニックにかかっている患者しか診てくれず、ウォークインクリニックはかかりつけ医を持っていない人でも診てくれるということですね。

ファミリードクターにも賛否両論あるようで、同じ医者に診てもらうのはカルテの保存や信頼関係を築けて良いということもあれば、自分と合わない医者をファミリードクターにしてしまうこともある、ファミリードクターに診てもらうのにも予約がいっぱいでなかなか診てもらえないなどの意見もあるようです。

私たちのようにファミリードクターを持たない場合(本当は持った方が良いのかもしれませんが、ウォークインクリニックもあるのでとりあえず保留にしています)

まずはウォークインに行って、そこから専門医を紹介してもらうという形になります。

 

そしてそして

ホスピタルという総合病院もあり、救急や重篤な場合はこちらに直接行く事になります。

以前小さいお子さんをお持ちのお母さんと話した時、ファミリードクターに行くより手っ取り早いので結局ホスピタルに行ったという話も聞きました。

ただホスピタルは、早急に医療が必要な方から順に対応をしていくのでものすごい待ったり後回しになったりということがよくあるようです。

 

今回行ったのはこちらの総合病院の救急です。

土曜だったのもありますし、もう絶対レントゲン撮らないといけないので。レントゲン設備がないであろうウォークインに行く意味もないですよね。

 

どれだけ混んでいるかと覚悟して行ったら、なんと待っていたのは一人だけでした。

番号札を取って座って待っていたところ、待っていたのは一人なので

すぐに呼ばれました。これはすぐに終わるのでは!

 

まずは問診をして、お金を払って、お医者さんの診察となるようです。

5分ぐらいの問診を終え、受付にお金を払いに。

700ドルでした。

70ドルじゃないですよ700ドルですよ。

高い高いとは聞いていたけどおったまげですよね。

これはいったい何代?

700ドル?

夫は留学生保険に入っているので、保険で下りるはずですが一旦自己負担。

ちなみにこちらではワークビザや長期滞在できるビザを持っていればどこ出身でもヘルスカードがもらえて、医療費はただです。

が、留学生は対象にならないのか、留学前に自分で保険に入る事が義務づけられています。

 

そして、診察室に呼ばれるのを待ちます。

わりとあっさり名前を呼ばれて

これは思ったより早く帰れそうだな。と思ったのが間違い。

待てども待てども

夫は帰ってきません。

続々と新しい患者がやってきて問診に行き、診察室に行き、そして帰っていくにも関わらず夫は一向に戻ってきません。

いえ、正しくは夫だけではありません。

レントゲンが必要そうな腕を吊ったり、足を引きずっているような人は揃って戻ってきません。

息子にお弁当を食べさせたり

待合室を歩き回ったり

トイレに行ったり

外のバスを眺めたり

待合室の壁に備え付けのおもちゃで遊んだり

いよいよ間が持たなくなって、自販機でジュースを買って息子に与えると、

狂ったようにジュースを飲んでいた息子が

「パパ!」と!

誰でも彼でも男の人を見つけては、パパと言うので

どうせ嘘だろうと思って見るとそこには夫の姿が。

 

パパ!!!

帰って来たのね!

 

2時間が経っていました。

そして終わったのかと思いきや

「まだかかるから中で一緒に待とか」

と。

まだかかるんかーーーい!

 

レントゲン結果を待っている状況でした。

出産前の陣痛待ちの部屋みたいな所に案内されてまたそこでひたすら待つ、待つ、待つ。

私はもう寝ちゃってましたね。椅子に座って。

息子はケータイで必死に自分の動画を見ていました。

どのくらい寝た、いや待ったのか、やっと医者が来て

「ここにヒビが入ってるよ!君が痛いと言っていたところ!見つけるのに苦労しちゃったけど見つけたよ。2週間はスキーしないでね!あ!喧嘩もだめだよ!ハッハッハ!

150ドルかかったけど保険で出ると思うよ!」 

みたいなかんじでものの3分ほどで説明が終わり

処方箋をもらって

やっと終わりました。およそ3時間でした。

 

13時半ごろ処方箋を持って薬局へ。私と息子は食材の買い物に隣のスーパーへ。

合流した夫に薬がもらえたか聞くと「14時半やって」と。

もうなんでそんなに時間がかかるのか不思議でたまりません。

何かを配合する必要もなさそうなラムネみたいな錠剤になぜそんなに時間がかかるのか。

もうなんでもいいけど。

結局家に帰る頃には15時になっていました。

 

そんなこんなでカナダに来てから初めて病院にかかったのでした。

もう二度と行きたくないけど、長く住んでたらそういう訳にもいかないだろうから

良い経験ができたかな。

 

ちなみに肋骨骨折は自然治癒を待つしかないので、痛み止めを飲んでしのぐしか方法はないようです。

が、幾分強力な痛み止めを処方されたのか

夫は朝の3倍ほどの速さで動いています。

「痛いけどだいぶマシや」と。

 

といっても息子の世話はまだ出来そうにないので、わたしは明日も仕事を休ませてもらうことにしました。

自分が元気なのに、仕事を休むのって変な感覚ですね。

いいの?みたいな。

 

なんか猛烈に長くなってしまいましたが、

色んな事が起こるもんですね。

 

いつも夫に頼りに頼っている育児なので、少し大変ですが

夫の骨がくっつくまで頑張りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

飲みに行った話

つい2週間ほど前から、職場に新しい人が入ってきました。

同い年の29歳のチリ人女性です。

英語はとても堪能です。

 

仕事中にお互いビールが好きという話が出て

家で飲むのが好きか外で飲むのが好きか

カナダに来てから 飲みに行ったか

などとりあえずお酒の話を一通りして

いっぺん一緒に飲まないとね!と話していたら

「そうそう、明後日友達と飲みに行くけど行く?」

と誘われたのです!

今まで家開催の宴会は何回か開催しましたが、日本人の方達とでしたし、

職場の飲み会はやはり職場の飲み会なので

「外で外国の人と日本人なしで飲む」という新しいチャレンジにうずうずしてしまい

「夫に聞いてみるね!」と。

家に帰って行っていいか聞くと快諾してくれたのでいざ外国人との飲み会へ!

 

チリ人の彼女の友人はフランス人の男性でした。

その方が、私の家の近所に住んでいたのでお店はうちから車で3分のスポーツバーのようなところになりました。

夫に息子を見てもらい7時集合でお店へ。

私は家でご飯食べちゃったのでチキンウィングを注文。

二人はハンバーガーを。

そしてビールをピッチャーで注文!

ピッチャーとか久しぶり!

 

ひさしぶりの外でのお酒と

息子や夫がいない環境で何かが解放されたのか(いや日本でもちょくちょく友人と行ってたのですが)

ビールが進む進む。

チキンウィングがまたおいしいのなんの。

 

お酒っていうものはすごいですね。

私のことをよくご存知の方は、私がどれだけ居酒屋を愛し、

独身時代どれだけの給料を胃袋に使って来たかをよくよく承知と思いますが

そうなのです

私はお酒が好きなのです。

コーヒーを飲んでいてもビールを飲んでいるように見えると言われ

出勤すれば退勤する前にはビールの事で頭がいっぱい。

ビールさえあれば誰とでも仲良くなれてしまうのです。

久しぶりに会う友達がいれば、仕事中から乾杯するのが楽しみで小躍りしてしまうほど。

 

結婚してからは、飲み行く事は激減し

といっても何の不満もなく、新婚時代は夫しか見えていなかったので(いや、今もですよ、もちろん)お酒などなくても、心はとても満たされていました。ちなみに夫はお酒をほぼほぼ飲みません。

妊娠、授乳中はもちろんお酒は飲まず

断乳後飲酒を再開したもののハメをはずすということはそうそうなかったと思います。多分。

 

それがこの日は違った。

といってもゲロゲロはいたり、記憶をなくしたり、人様に喧嘩を売ったりはしていませんが、ただいつもより楽しくなって、いつもより多少酔っぱらったという事。

 

正直なところ途中からは頭が働かず、フランス人とチリ人が何話しているのかわからないときも多々ありましたが不思議なもので私の英語もスラスラでるんですね。

相手が何言ってるのかよくわからないのに。笑

 

日本人はなぜイルカやクジラを食べるのかや

ベジタリアンについてどう思うかや

宗教の話もしたし

結構たくさん色んな話もして

しかし大半はとてもしょうもない話でゲラゲラ笑って

気がつけば12時を過ぎていました。

 

独身時代であれば、このまま何らかの方法を使って(誰かの家にいくなり、タクシーで違う店に行くなり)次の日の事を考えずに過ごしていましたが

今や30手前の家族持ち。

「やばい12時や、帰らないと」

嫁が飲みに行くのを快諾し、店まで車で送ってくれ、息子の面倒を見て、寝かしつけて、起きて待ってくれているであろう夫の事が頭から離れず(もう十分遅い)

「私もう帰らないと!帰るね!」と散々楽しんでおきながら真面目な妻のように振る舞い、

酔っぱらった外国人たちに「そうした方がいいよ!」と言われて

いそいそと帰宅。

 

遅くなった事を謝ると「かまへんで」と。

私は酔っぱらっていない、私は酔っぱらっていないと言い聞かせながら帰りましたが

家に帰ってからは、パジャマを見つけられず部屋を行ったり来たり。

風呂に入ってすぐに就寝。

酒臭かったやろな、いびきもかいたかな。

本当にありがとう夫。

 

本当楽しかった。

そして、もっともっと英語が話せるようになりたいなと、

なにか投げかけられたときにもっと自分の意見が言えるようになりたい。

もっとたくさんの人と仲良くなれるように。

日本で素晴らしい友達ができたように、こっちでも人種に関わらず素敵な友達ができるように。

私はお酒がなければ、シャイな日本人なのでやっぱり英語を間違えるのは嫌だし、

まだまだNO!と言えないこともあるし、何言っているかわからないときに流してしまう事もあるし、冗談もなかなか言えないし、英語ではスラングもなかなか使えないけれど、それでも、もっと英語を使えるようになりたい!と

日本でいる私と変わらない私でいたいと思っています。

語学を学ぶ楽しさをまた思い出しているので、日々少しずつパワーアップしていきたいな。

 

ただ飲みにって楽しかったみたいなブログになってしまいましたが(載せる写真が何もなかった)、私は結局のところ変わらず元気にしていますということですね。

平成最後の年末年始

寒い寒い!

マイナス30度近くになっています!ホワイトホースです。

 

いつもそうなのですがブログに書きたい事がいろいろあって

書く暇が取れないまま時間差が生まれてしまい、もういいかと書かないまま終わってしまうことがよくあります。

 

さくっと年末年始を振り返っておきたいと思います。

去年のお正月はどうだったかなと振り返る事、よくありませんか?

なので記録しておきます

 

まずはスケート靴をクリスマスプレゼントにもらったのでスケートに行ってきました。

ホワイトホースには無料で滑れる屋外のリンク(人口の物であったり、天然の物であったり)があるのでとりあえずは公園へ。

そりをしている子供たちは何人かいたけれどスケートをしている人はおらず貸し切りでした!

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息子は寒くて機嫌が悪かったです。

靴のサイズが少し小さかったので、返品交換をしにいったついでに夫も靴を購入したのでみんなで行ってきました。

この日は怯えながら慎重に滑ったので一度も転けませんでした。

 

あと年末に忘年会をしました。

昼ごはんから夜ご飯までずっと飲んで食べ続け、楽しかったです。

ユーコンの先輩夫婦と、夫の学校のお友達と日本人ばかりでしたがこれもまた楽しいですね。

ワーホリでトロントにいたときは、カナダに来てまで日本人とつるむのは時間がもったいないなどと生意気に考えていましたが

ずっと住むと思えばそういう焦りは一ミリもなく、自分が楽だな、楽しいなと思う人と過ごす事にしています。

たくさん話してたくさん食べて有意義な時間を過ごす事ができました。

 

さて、大晦日やお正月はもう仕事に明け暮れていてあんまり書く事がありませんが、

31日は、ホワイトホースでカウントダウンイベントであがる花火を見てきました。

数発で終わるだろうと全然期待していなかったので思いの外たくさん上がって、

ぽつっぽつっとゆっくりな感じが日本の昔の田舎の花火大会のようでした。

冬に見る花火もまたいいですね。寒くて写真も撮ってませんが、、

帰宅してタイムズスクエアの中継を見ながら過ごし、年越しそばとしてどん兵衛を食べて元旦は仕事へ。

 

元旦のホテルの部屋はそれなりに盛り上がった様子がうかがえて(大量のビールの缶や、テンションの高い風船などが部屋に置き土産としてありました)

どこもやはり、年が明けるというのはめでたいことなのだなと思いました。

 

2018年を振り返る余裕もなく年が明けてしまいましたが、

2018年をざっくりまとめるとすれば

本当によくホワイトホースまでやってきたな、そしてよく新しく生活を始めたなということです。

私も夫も息子もよく頑張った!

そう褒めたいです。

別に何も成し遂げてないですが、良く踏み出したなとそう思っています。

夫は若い子に混じりながら学生に。

毎日毎日家事育児をこなしながらコツコツを家で勉強している姿を見て偉いなあと素直に尊敬しています。

私はとりあえず仕事を頑張ったかな。

何枚もシーツをはがし何度もベッドメイキングをして、何度でもシャワールームを掃除し、ある日はシンデレラってこんな感じかなと馬鹿なことを考えながらモップをかけて、またある日は出来上がったベッドを見てまったく記憶がない程無心にベッドを作っていたり、シャワーを使っていない部屋に歓喜したり、どうしてトイレを流してから部屋を去らないんだろうと疑問に思いながらトイレ掃除をしたり、

「一人前になれば一人で30分で一部屋やるのよ」というプレッシャーのもと汗だくになりながらいざ終わってみれば50分くらいかかってて愕然としたり。

まあそんな感じ私もよく頑張りました。

息子は息子で本当に良く順応してくれました。

カナダの生活にも保育園にも。最近は英語と日本語と、スペイン語?なのかなんなのかごちゃ混ぜで、言葉は確実に増えているのに何しゃべってんのかわかりませんということが増えてきました。

 

年末までたった4ヶ月でしたが駆け抜けるように過ごしてきて、

クリスマス前に夫と息子が風邪でダウン。その時初めてゆっくり休む時間を取ったように思います。

 

2019年は

夫の事はわかりませんが、私には明確な目標がありまして

まずは永住権取得にむけて色々と手続きを進めていく事。

そして、自分のビジネスを始める事。このことについてはまたブログで詳しく書きたいと思っています。

あと夏のユーコンもいっぱい楽しんでキャンプいっぱいしたいです。(もはや目標とかじゃないな)

そして、息子のおむつがはずれたらいいな!

 

以上

最後になりましたが2019年も私たち家族をどうぞよろしくお願いします。

日本にはなかなか帰れませんが、暖かく見守ってやってください。

ホワイトホースにはいつでも遊びに来てくださいね。

今年もよく生きましょう!